本部通信 2024年7月 仏法の味わい

   東京真宗同朋の会に入会して10年 今憶う

 私が入会した動機は『東京真宗同朋の会六十年のあゆみ』に「あきば会に参加してきて」という一文に書かせていただいた通り、千葉組浄真寺(柏市)門徒の同行に誘われて、2014年2月にあきば会に参加したことでした。私はもともと岐阜県大垣教区の手次寺蓮明寺の門徒でしたが、現在は住まいに近い千葉組浄真寺の門徒となりました。本会主催の色々な聞法会などに参加する中で積極的に聞法しようと決意し、あきば会に参加していたことがご縁となって、2014年6月に東京真宗同朋の会に入会しました。
 以後、10年余り経ちました。振り返ると最初は色々なものめずらしい聞法会に顔を出してお話を聞かせていただきましたが、2~3年であきば会が中心になりました。その他、同朋の会主催の法話会や報恩講、おみがきにお参りしていましたが、コロナ禍になるとあきば会だけになってしまいました。ただ、聞法そのものは、寺の同朋会や法話会、東京教区や千葉組、各種真宗団体等によるZOOMやYoutubeによる配信法話など毎月10回ほどと多くなりました。
 そこで、あらためて聞法と東京真宗同朋の会について、今憶うことをまとめてみました。
 第一に、聞法について。正信偈の中に次の言葉がありました。「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華」(赤本12頁)。意訳すると「善だとか悪だとか、目先のことだけしか考えられず、オレが正しいオマエが悪い、そんなことばかり言っている人でも、聞法に励み如来の本願を信ずれば、お釈迦さまはその人を、すぐれた智慧者だとほめ讃えます。数百年に一度しか咲かない、清い白蓮華のように素晴らしいとほめ讃えます」。これを見ると、私はまさに一切善悪凡夫人だが、聞法に励めば、自然に如来の本願を信ずることができるのか?親鸞さまは「聞其名号」そのままが「信心歓喜」であると説かれますが、私には「ただ念仏」のうえに、法を聞き続けることが「信心」のように聞こえました。
 第二に、東京真宗同朋の会は、私にとって聞法のきっかけになりました。もともと、同朋の会*は親鸞聖人七百回御遠忌の訓覇信雄(くるべしんゆう)宗務総長時代に親鸞の教えによる信仰運動の場として発足したようで、私があきば会に参加しだした頃に当時の会長の白川繁利さんから、訓覇総長との出遇いの話に聞法の厳しさと真剣な眼差しを伺いました。私のような何をしても中途半端な者が曲がりなりに続けてこられたのも、先達の導きと同行の励ましによると憶われます。
 今回、東京真宗同朋の会の本部通信の原稿を依頼され、何を書こうか大変迷いましたが、入会の動機と10年余り経っての憶いを書かせていただきました。
                                                                    

南無阿弥陀仏
あきば会参加者 桑原登喜夫

(*「同朋の会」は、1962年に始まった信仰に基づく宗門改革の運動である「同朋会運動」において、前年の親鸞聖人七百回御遠忌法要を機縁とし、当時の訓覇信雄宗務総長によって提唱された「同朋会の形成促進」において今後の教団の方向性が打ち出され、一人ひとりが教えを聴聞し、念仏にであう場を「真宗同朋会」として、1か寺1か寺、また地域や職場にひらいていくことを具体的な目標としてはじまった。(参考:真宗大谷派公式ホームページ))

敬弔
岩上廣志様(法名:輝廣大) 東京都練馬区*2021年5月命終満93歳
このたび、お連れ合いさまよりご逝去された旨のお知らせをいただきました。
ご生前のご厚情に深く感謝するとともに念仏合掌して哀悼の意を表します。