2025年7月1日
この度、真宗会館に於いて4月15日に執り行われた慶讃法要帰敬式にて法名をいただきました。
生きているうちにいただくものと初めて知り、親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年という節目に、また帰敬式法座が私の誕生日、式当日がお世話になっているお寺近くに生まれた祖父の誕生日でしたので、法名を授かるなら今でしょ!と思い定めたわけなのです。

法名とは仏弟子としての名告(なの)りをあげること。にわか仕込みで覚えた私なので、剃刀の儀では緊張で体が固まってしまいました。ですが、頭にかすかにおかみそりのあたる感触を覚えたとき、思いがけなく体の芯から嬉しいと思う気持ちがわきおこってきました。解放感と言ってもいいかもしれません。不思議だと思いながら、誓いのことばで「生まれた意義と生きる喜びを生活の中で確かめながら」と声に出して読む自分に、素直にうなずける自分がいました。

御同朋、御同行。「ともに」と話された結柴氏の言葉が心に響いたあとの座談会。血縁でも地縁でもなく、年齢も境遇も違うけれど、仏弟子の名告りという一点で集う方々。まるで以前から知っていたかのような親しみを覚えました。皆さんのお話をうかがいながら、ふと親鸞聖人の草庵でも、同じように車座になって語りあっていたのだろうなと思いました。蝉しぐれや子供らの歓声、降りしきる雨。そんな何げない暮らしの音と共に唱えるお念仏が、草庵から家の軒先から、聞こえてきたことでしょう。

800年の時を超え、今も人として同じ時を生きる御同朋が唱えるお念仏。その事実こそが、何より阿弥陀さまのお導きを信頼する証だと、スタートラインに立った私の背中を、名告りが後押ししてくれた気がします。歌の文句ではないけれど、「三歩進んで二歩さが」っても、自分の心をチェックしながら「休まないで歩」きたいと思います。
岩田 雅恵[法名 釋尼雅抄]聞法会「わだちでブッダ」(千葉県・新松戸)世話人