この4月25, 26日と京都に行き、「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要」と京都国立博物館で開催中の「親鸞聖人・生涯と名宝」特別展を参拝した。この参拝は私の生涯にわたり記憶に残ることとなるだろう。
何故なら、久々の本山への参拝であり、また、本山に納骨させて頂いている両親との再会もでき、更に、なんと親鸞聖人に直接お目にかかることができた、という喜びを得たからである。
25日は朝方から小雨が降り寒い日であり、御影堂内の寒さが堪えた。私は、配布された膝掛を背に覆い、寒さを凌いだ。勤行は、午前9時40分から開始された。大勢の同朋と共に、南無阿弥陀仏と高く、低く声をあげ、また、正信偈、更に、願以此功徳、恩徳讃へと続く読経が心に染みた。私は、愚かにも初めて、南無阿弥陀仏と高く、低く声を上げて呼び続けることが、仏陀への心からの讃歌なのだと認識できた。
特別展は、まさに圧巻であった。3階から1階へと拝観する順路になっていた。3階の部屋に入ると、「南無不可思議光如来」あるいは、「南無阿弥陀佛」と書かれた掛け軸がいくつもあった。私はまず、その文字のすさまじい迫力に圧倒された。
また、聖人直筆の仏典や御文が展示されていた。その仏典等には、聖人が細かなカタカナで注釈されていた。私は直ちにそのカタカナを判読することができなかった。そこで、「親鸞(生涯と名宝)」と題する分厚い本を購入して自宅で何とか読むようにしたが、容易ではない。
かろうじて何となく読むことができたのは、例えば、恩徳讃の一節である。「如来大悲の恩徳は身を粉にしても奉ずべし、・・・」について聖人は「コノ和讃ヲ文ニオホセツカワリテ ウレシサニ カキ. .」と書いて下さっているように読める。聖人は、愚かな私達にやさしく、親しみやすく工夫して如来の教えを伝えようとして下さったのだ。なんとうれしいことだろうか。
更に、何体もの高僧の坐像が安置されていた。聖人の坐像(千葉常敬寺所蔵)は、他の座像とかなり異なっており、そのお顔には深い苦しみがにじみ出ているように見えた。愚禿釈の親鸞と、常に「愚禿」と称された聖人だからであろうか。
私は、「特別展」において、直接に聖人の筆に触れ、ささやかであるが教えを受けられたように思う。このような体験をさせて頂いたことは、私にとって大きな喜びである。生きる勇気と励ましをいただけたのだ。合掌
(哲学堂地区会 渡部 照子)