聞法の楽しみとは?
聞法の楽しみと言ったら、何でしょうかね。人それぞれだと思いますが、私の場合、長年の課題が解決あるいは八割方理解に近づくということでしょうか。
昨年は年間70回ほど法話の席に出席しました。そのなかでいい話を聞いたと思えるのが王本願と言われる第十八願にある「唯五逆と正法を誹誇せんをば除く。」の解釈であります。以前から、法蔵菩薩がすでに私の名を呼べば全ての人を救います、と誓っているのに、この言葉は余計な言葉、必要のない言葉と思っていました。昨年11月の真宗会館の「ご命日のつどい」の法話で千葉県浄真寺の前田義朗先生が「これは念仏を教えるためで、自力でこれを読めば心が暗くなります。ですが他力で阿弥陀仏が知らせてくれれば明るくなります。」
なるほどそういう解釈があったのかと感心いたしました。その翌月の12月の「哲学堂地区会」の法話で豊島区顯真寺の近田聖二先生が「唯除五逆・誹誇正法」について「これは真面目に読んだらダメですよ。真面目が悪いと言っている訳ではなく、真面目さゆえに見えるものが見えなくなる事があるんですね。」この二人の先生は言葉は違っていても同じことを言っていると感じました。二人の先生は特にこの解釈を強調した訳ではなく、さりげなく発言されている訳ですね。ですから聞法というのは油断できないですね。これからも、私の課題を解決してくれる善知識に出会えるのを楽しみに、聞法を続けたいと思います。
城北地区会 福田 正紀