本部通信 2024年12月

 私が東京真宗同朋の会に入会したのは、昨年の秋です。それまでは、主に日曜礼拝、時間が余っている時には、この会の発送業務のお手伝いをしながら、真宗会館へお参りしていました。今回同朋の会の事務局の方より、この文章を書くように依頼され、断ることもできたのですが、簡単に引き受けてしまった自分に驚き、後悔の思いもしています。締め切りの迫った作家のような気分で書き進めています。
 今までの自分の人生を振り返ってみると、奇跡のように思える二つのことがあります。
 一つ目は、自分が生まれたことです。
 私の両親は結婚後、子供に恵まれず、結婚後10年に一度流産を経験し、12年目で養子をもらう予定だったそうです。この時に私が生まれたのです。昔のことなので、お産婆さんにしか診てもらっていません。母は、突然の産気で慌てて初めての病院へ行きました。たまたま前にいた妊婦さんのお産が遅れていたため、準備のできていた明かりのお陰で私が生まれました。麻酔をする余裕もない帝王切開ですから、母も私も死んでしまっても当たり前の命をいただきました。
 二つ目は、浄土真宗の教えに出遇ったことです。
 夫は12年前に亡くなりましたが、亡くなる5日前までは普通に仕事をしていました。そのことと同時に、手に負えない事柄が次々に起こってきました。偶然手に取った浄土真宗の本、その中に自分の状態と同じように感じられる二河白道の譬えがあったのです。
 二つのこと 一 物を探している時に、遠くの方だけを見て、自分の足元にあるのに気付かないように - いつでもご一緒して下さっていた仏様に目をつぶっていた自分に気付かされました。
 日曜礼拝に参加していても、その理解度は「一歩前進、三歩後進」の歩み。日々の生活は、やらなくてはいけない事、考えなくてはいけない事、やりたい事、考えたくなくても脳裏に浮かんでしまう事、の繰り返しです。
 その中で、ずっと探し求めていた仏様の教え・智慧に出遇えたご縁に、
 ただ、ただ合掌。

新谷(しんがい)けい子